生まれゆく時の中で ②。。
こんばんは。。ひっさしぶりの大長編に挑んでいるmartです。。
もう、書き始めて数時間になりますね・・
そんでは生まれゆく時の中で 後篇 START!!
ここからは本格的に旅の最中に具体的に浮かんだことをツラツラ書かせていただきます。。
まず最初に音楽で、マナさんから教えていただいた砂塵の彼方へという曲。。
ホントは砂漠で聴く歌なんでしょーが、島で・・というか旅行中ムッサ聴いておりました。。笑
この曲は旅というのを人の営みに例えていて、出会いや別れ、楽しみや苦しみ、どんなに祈っても砂塵の彼方へかき消されてしまう。。
だとしたら、僕らが今ここにいる意味って何??
生まれてきたから、ここにいる理由なんてない。。
別に否定や肯定を求めているワケではない。。
僕はただ、なぜ今ここにいるのか??
ここで僕は何をすべきなのか??
その答えが知りたい。。
とずーっと考えておりました。。
何をすべきか??というのを職場や人間関係に対して考えてみたのですが、自分なんていなくても会社は回るし、むしろ自分マイナスだし、人間関係もそこまで自分が尽くす人なんていない。。
尽くしても尽くしても何も返ってこない。。
そして、何かの見返りを求めている自分もその人間らしさに嫌気を感じます。。
この他に島・教会というのを巡ってて思ったのは・・
旅行記でも書いたとーり、1つの集落に1つの教会がある感じで、しかもその教会の歴史は全て血生臭いんです。。
でも、確かにそこに教会があって、毎週日曜日にはその集落の人たちが集まって礼拝をするのです。。
ところで、話は変わりますが、僕は物理学科出身で今でも物理大好きなのですが、理系の人間というのは特に現実主義で、神様なんて到底信じられる存在ではないのです。。
ただ、面白いことに物理学でも、きっと最後は・・神がいるという証明をすることになってしまうと思います。。
というのも、物理学が最終的に目指すモノは人間証明という理論で、僕らを構成する物質というのはどのようにできたか?? というのを証明するのが最終目標なのです。。
しかし、結局いくら小さな物質から構成されていると分かったとしても、じゃあその最小単位の物質はどこから来たの??
必ず最後は・・
神様がそれを作り出した
になってしまうのです。。
なので、もしかしたら宗教と物理も観点は違うモノの神を証明しよーとしているトコでは一緒なのかもしれません。。
その中で物理学側に立つ僕としてはきっと生きている間にここまで証明できないと思うのです。。
ただ、この宗教というのは既に神を信じていて、それを崇めているワケです。。
それが2000年前からずっと続いていて、今もこんなに小さな集落でも祈りが続けられている。。
そして、僕が死んでもこの教会もその集落に遺される子孫達も宗教を信仰して、礼拝は毎週止むことはない・・
なんか、自分が侮蔑しているけど、その解に辿りつかず、かつそれがこんな小さな土地で自分が生まれる前も死んだ後もずっと続いていくということが・・
宗教と自分の人生を比較するという、よく分からない悔しさなんですけど・・??爆
最後にはバカバカしくなっちゃう
と書いたのですが、やっぱり戦争というのは全く理解できないのです。。
なぜ、戦争が始まるのか??
戦争で誰が得をするのか??
こんだけ、平和・平和と謳っているのになぜ常に世界のどこかで戦争が起きているのか??
もちろん、相対する譲れない何かがあるのだと思います。。
だとしたら、全く逆のことを思うんですけど・・
なぜ、人間が今まで滅亡しなかったのか??
こんだけ戦争やっても繰り返されるのならば、いっそ世界同時多発的に戦争が勃発して、人間全部死んじゃわないのかな~???
と思ってしまうのです。。
祈りなんて通じないし、時には言葉にしても通じないこの世界。。
人間同士分かりあえないことなんて多々あるのに、どーして暴動だらけにならないのやら??
逆にこっちの方が不思議に思えて来ました。。
そして、究極的にさらにこの考えをひっくり返しまして、辿り着いた疑問が・・
どーして、みんなそんなにがんばって生きてるんだろー??
宗教だろーと、民族だろーと、社会だろーと、仕事だろーと、ぶっちゃけみんながあるレベル以上にがんばろーとしてるからみんなが苦しー辛いとか嘆いてるという意味の分からないことをやっているよーで仕方がないと思うのです。。
そこまでがんばって、それ相応の価値が得られると思えないんですよね。。。
がんばらなきゃ楽になれない
って意味不明じゃないですか・・??笑
そんなんで、原爆中心地で昔も今も人間が何をしたいのか・・ずーっと考えておりました。。汗
阿蘇で思ったことは単純にして究極です。。
人間だろーと神だろーとこの風景を創り出すことはできないんだ!!
という確信をしました。。
結局、自分の人生はもちろん、今生きている人間社会も、どんなに歴史を変えた人間もこの景色の前では無力だ。。
な~んか、社会も人生もどーでもよくなっちゃいました!!
勝手に笑ってくれ。。勝手に裏切ってくれ。。勝手に戦争してくれ。。
結局、この無限の時間と空間の中では全てが無意味なのだから。。
だとしたら、自分はこの世の中に何を求める??
それは、自分が求めたい真理を追究すること。。
絶対に裏切らないし、これなら無限に少しは立ち打ちできる気がする。。爆
ってことで、もう何も考えないことにしました。。
仕事も人間関係もどーにでもなれ。。
仕事辞めよーと、クビになろーと、僕の周りから誰もいなくなろーとそんなのどーでもいい。。
最後に・・
4年前、長崎に行ったときは
3年後にゼッテー来てやる!!
と決心したり、新潟でも次に自分が○○ができるよーになったらまたこの地に来よー!!と次来る目安を決めていたのですが、今回の旅の最後は全くそーゆう目安を決められなかったんです。。
ただ・・僕のこの旅の最後に感じたこと・・
熊本空港で飛行機まで時間があって、展望デッキで飛行機の離発着を眺めてたのです。。
そして、出発の時間になって、展望デッキを出るときに九州で聴く最後の曲として・・
が(ランダム再生で)流れたんです。。
その冒頭の歌詞・・
Everyday I listen to my heart..
どんなにこれからいろいろな嫌なことがあって、そこから逃げ出したとしても、次自分がここに来るまでは自分の心からだけは絶対に逃げ出さない。。
と固く誓い、九州を後にしました。。
そんなのを悟って帰ってきたら、恐ろしく仕事も人間関係も悩まなくなりました。。爆
いい意味で、もうどーでもいいので・・
ということで、今回の九州旅行を1つの人生のターニングポイントとして、これからはこの考えをベースに人生やっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。。爆