自分なりの20年目の意見。。

 こんばんは。。3月20日って何の日だっけ??と考えていたmartです。。


 最初に浮かんだのが、春分の日。。笑

あっ、お彼岸か~どうりで、最近暖かくなってきたな~

 と思っていました。。爆

 次の日だし・・


 その次に浮かんだのが・・

あっ、地下鉄サリン事件だ!!

 そう言えば、最近テレビで特集多かったな~

 自分も当時小学5年生だったので、結構鮮明に覚えています。。


 しかし、個人的に思いだすべきもっと大事なことがありました。。

あっ、兄貴の誕生日だ!!爆

 というか、思い出したんじゃなくて、母に教えられたんですけどね・・笑

 まぁたまには忘れるよ・・





 しかし、世間的にはやっぱり3月20日は地下鉄サリン事件。。

 あれから20年。。

 自分でも、精神的にも頭脳的にも大人になり、いろいろな考え方ができるようになりました。。


 宗教と社会。。

 個人的には宗教は否定的な意見です。。

 修行じゃ真理には辿りつけない。。辿り着けるのは物理だけだ。。

 と昔から信じてきました。。

 でも、これもまた宗教みたいなモノですね。。


 宗教自体は否定的でも、宗教学という分野には大いに興味があります。。

 オウムの事件があって、世界史を学んで、いろいろな知識や経験をするうちに

なぜ、人間は宗教というのを信じてしまうのか??

 というのを考え続けてきました。。


 僕が一番好きな小説家の森博嗣さんの小説で

先生、人類史上、一番大きなトリックはなんですか??

神を信じさせたことだよ。。

 みたいなくだりがあるんですけど、これを読んだ瞬間に世界の見方が変わりました。。

 そう。。これはトリックなのです。。

 偽物、もしくは空想上に存在するモノなのです。。

 しかし、人はいつの時代も神を信じる。。


 心理学者のユングが世界大戦中

科学が発達すれば、自然と宗教は減退するだろう。。

 この説は半世紀経っても、実現されず、むしろ科学を使った宗教というのも台頭してきました。。

 そして、その科学を用いて、信義を貫こうとする宗教も生まれました。。

 自分はバブル時代というのをあまり知りませんが、市場原理主義の究極系と捉えると、もちろんそれに異議や不信感を持つ人も出てきてもおかしくないと考えてられます。。

 そのモヤモヤした気持ちを聞いて、受容したのが麻原だったという展開。。


 正直、バブルがはじけて、失われた20年を過ごした後の現代でさえ、みんな

世の中おかしーよ!!

 と、みんな多かれ少なかれ思っていると思います。。

 例えば、それを聞いてくれる友達がいてくれる。。それだけで、その人はその現実に耐えられるというパターンは多いのではないでしょうか??

 でも、もしだれも聞いてくれなかったら??無視されたり、否定されたら??

 誰だって、悲しく虚しくなると思います。。

 その後に小さな幸せが起きれば、まだ救われますが、その不幸が連鎖的に発生して、気づいたら自分の普通の話をする相手すらいなくなったら??

世の中で上手くいってないのは自分だけだ。。

みんな、自分のことを軽蔑してるんだ。。

みんな敵なんだ。。

 って思いこむかもしれません。。

 その思いこんだ人達が集まり、1人の絶対的な教祖のみを信じていったら・・


 確かにこの流れだったら、学歴の良し悪しに関わらず、人が集まってくるかもしれません。。

 特にネットのような仮想空間でさえ構築されていなかった時代。。


 また、最初に僕が言った、物理絶対!!といいつつ、いくら研究しても真理に辿りつけなかったら・・

 真理に辿り着くまでの道のりは想像を絶するモノです。。

 もしかしたら、真理に辿り着いても、それを見過ごしてしまう、もしくはそれに満足いかず迷走してしまうことがあるかもしれません。。

 そこに全く違うアプローチから真理の探究方法を提示されたら、なるほどこれが・・と思いこんでしまうかもしれません。。


 宗教それ自体悪ではなく、その中身が重要で、時として踏み入れてはいけない領域に入り込んでしまう危険性はあるということなのです。。

 そして、そこに踏み入れるか、それをしないかという判断は心の強さでも、学歴でもなく・・とまぁこの先が浮かばない30歳です。。爆


 いや、正直オウムに限らず、誰でも加害者になることはあると思っています。。

 そこに触れない方法・・運しかないんじゃないですか??爆


 ホントに、自分も死にたいと思うことは日常的で、犯罪を実行しようと思ったことは一度もないモノの、犯罪を起こした人の気持ちに、たまに少しだけ共感してしまうことがありますもん。。

 その人が自分以上の不幸に陥った結果がそれになっただけで、もし自分が同じ立場なら・・と考えます。。

 そのような考えを放出する場があればって思いますが、まぁ危険思想だしね。。笑


 ただ、犯人の動機を受容しろとまでは言わないから、責めて、何が原因で、もし同じことが自分の身に起きたとしたらどうすればいいのか??ということを考えるべきだと思います。。

 もちろん、原因というのは動機だけじゃなくて、生い立ちとか交友関係とか、社会的地位とかいろいろな観点からの分析です。。

 そこらへん、報道が単純化されているから、もっとマクロな視点を持ってほしいモノです。。

 その分、コメンテーターとか街頭インタビューとかいらんから・・

 あれはただ、言論統制を助長してるだけでしょ・・笑


 こんなんが30歳になって、オウム事件と向き合ってみた自分の意見です。。

 それでは~