函館・東北旅行 4日目。。

 こんにちは。。おうちに北海道と九州のお土産が溢れているmartです。。


 兄貴が父の実家の長崎県五島列島に釣り旅行へ行ってきて、そのお土産で溢れています。。


 ちなみに姉夫婦が長野・静岡へ旅行中なので、間もなくそのお土産も着くハズ。。爆

 いいですね。。GW。。




 さて、自分の旅行記は最終日。。

 この日はひたすら南下。。

 釜石駅。。

 
イメージ 1


 この写真を撮って、駅舎に入ろうとしたら、こんな看板がありました。。

イメージ 2


 あ~ここなんだな~と実感させるモノ。。

 釜石駅を出発して、大船渡・陸前高田気仙沼・南三陸石巻と下って仙台まで。。

イメージ 3


 所々、鉄道は通っているのですが、ほとんどバス移動です。。

 BRTと言って、JR東日本が線路をアスファルトで固めた道(バス専用道路)に路線バスが通すという形式が採用されているので、その区間はそこまで苦に感じませんでした。。


 ただ、海岸線を走るとやはり更地のトコが多く、土は盛ってあって重機も何台かあるのですが、この場所に何を作るのか分かる所は少なかったです。。

イメージ 4


イメージ 5


 5年以上も経ってから来るのは遅いと自分の中で思っていましたが、やはりその場所は復興途上でした。。

 途中、「奇跡の一本松」も通りましたが、そうゆう場所は観光地化されていて、人も車もたくさん来ていました。。

イメージ 6



 そして、自分がこの日訪れた場所は・・

イメージ 7


 南三陸防災対策庁舎です。。

 数ある震災遺構の中で、自分は一番ここに来て見たかったのです。。

 防災無線で最後まで避難を呼びかけた職員がいたという場所。。


 実は想像では数mの錆びた鉄骨が静かに立っているというイメージだったんですけど、全然違いました。。

 大きかったし、生々しかったです。。

 存在感がすごかったです。。

イメージ 8


 元々はこんなだったそうです。。

イメージ 9


 普通にそこらへんにありそうな公共施設。。

 むしろ、周りの建物とさほど変わらないので、狭く感じるぐらい。。

 それが震災直度がこの状態になりました。。

イメージ 10


 43名の方が犠牲になりました。。

 避難を呼び掛けた職員も。。

イメージ 11




 さっきも書きましたが、5年以上経って訪れるなんて、遅すぎると自分で思ってました。。

 ほとんどこの間は復興の状況について、無関心で日常生活を過ごしていました。。

 自分の周りも、同じです。。

 おそらくほとんどの人が地名と場所が判別できないでしょう。。

 岩手か宮城かさえ。。

 自分も行くまでそんな感じでした。。

 だけど、この場所に来てなんでもっと早く来なかったんだろう??と後悔を感じました。。


 しかも、これを知ったからと言って、自分の行動が劇的に変わるワケでもなく・・

 ただ、自分の見たモノを人に伝えるだけですが、それもそれで罪に思えるのです。。

 行って来たことを自慢するようで・・行ってない人を見下すようで・・

 でも、テレビやネットで見るより、知り合いから聞いた方が全然リアリティーが違うと思うので、自分はこの話を周りの人にもしたいと思います。。

 それでは。。