2011年 山陰旅行 3。。
こんばんは。。写真をアップすればする程、どんどん編集に時間が掛ってしまうmartです。。
旅行記の時間が掛るところはここなんだよね~
でも、写真アップしないと後々見返した時に物足りなさがあるし、デジカメよりPCで見た方が画像キレイで、大きーし。。
だから、記事書く時だけの我慢です。。
窮屈なマン喫を朝6時半に出発して、バスで出雲大社へ。。
お天気は予報どーり、昨日より回復して、雲と青空が仲良く半々ぐらいのお空。。
空気はひんやりですが、震えるほどでもないって感じでした。。
さて、出雲大社は今回の旅行で唯一過去に1度来たことがある場所。。
中学3年生の夏ですから、かれこれ12年前になりますね。。爆
一昔前ですよ。。笑
何となくな記憶はあるのですが、とにかくその時は本殿が工事中で境内にすら入れなかったという悲惨な思い出が一番、印象に残っております。。涙
あとは、注連縄がムッサ太かったのと、帰りの電車待つのに、3時間駅で待って、その間に
をボーっと駅のテレビで観てたのは覚えてます。。笑
そんな苦い思い出だらけの出雲大社12年越しのリベンジ。。
バス停を降りて、すぐ正門。。
大鳥居をくぐって、並木道を進む。。
朝7時ぐらいなので、人がほとんどいなくて、ムッサ静かでした。。
その雰囲気が何とも神々しくて・・
えっちらおっちら、左右に象られたオブジェに寄り道しながら念願の本殿へ。。
がしかし・・今回も実は社が工事中。。爆
なんか、平成の大遷宮らしく、再来年ぐらいまで、社にカバーが掛けられるらしー
いつになったら、自分は出雲大社の完全な姿を観ることができるのだろーか・・涙
さらに、仮の本殿に大国主命が移られているということで・・
どこにいても自分の願いは届く!!
ということで、少しかじかんだ手で柏手4回鳴らして思いっきり祈ってきましたよ!!笑
マジで最後2回の柏手は手が痛すぎた。。
そんな痛みにも屈せず、神頼みしたこととは・・
もちろん秘密ですけど(笑)ただ、いろいろな意味でご縁がありますよーに。。と。。
その後すぐに近くでおみくじ引いたらもの凄くいいことしか書いてなくてビックリした。。汗
何となく、こんなんが出てくれるって感覚がしたんだけどね。。爆
さて、一通り境内をグルリと回り、再びバスに乗って、駅へ戻る。。
電車まで時間が合ったので、朝飯に出雲そばでも食べよーと思ったら、まだ店が開いてなかったし。。涙
仕方なく隣の飯屋に入ったら、モーニングしかやっていないと言われ、パンを食べる気になれなかったから400円のココア頼んだら、全然美味しくなかったし。。
隣の蕎麦屋が開いたから、入って、蕎麦頼んだら出来上がるまで10分も掛って、電車の時間がなかったから、3分で食べるハメになったし。。
しかも、味わえなかったとはいえ、量がムッサ少なくて、あんま美味しくなかったし・・
非常に残念な1000円の朝食でした。。涙
ギリギリで電車に間に合い、再び西へ西へ。。
2時間半行ったところで、益田駅に到着。。
次の電車まで、1時間以上あるので、駅前の大阪王将に入る。。
こちらは先程の出雲蕎麦と同じぐらいの値段でありながら、チャーハン&餃子で量が多くてムッサうまい!!
1日の内、3度しかない楽しみを一度外すというのは惜しー気持ちだというのに26年生きて改めて思い知らされました。。笑
さて、暇だったので益田駅周辺をグルリと回る。。
基本的に田舎の駅と言うのは駅に出口が1つしかないワリに、駅前は閑散としていて、少し離れた国道にお店が固まっているんですね。。
だから、自家用車がなければやっていけないと言われているのでしょー
そんな考察しながら、BGMに
を掛けながら(笑)30分ぐらいブラブラ歩いて、再び駅から電車に乗り込む。。
1時間後、目的地に到着。。
萩です!!
ここは今回、一番見どころが多い場所。。
さぁ今から維新の志士達の足跡を辿りに行くゾ!!
と意気込んだ矢先に、目の前でバスを見逃し(笑)肩透かしに合ったこの身で駅の外に出てみると、駅舎の隣が市の歴史館みたいになっていて、無人で無料だったので、入ってみました。。
そしたら、日本鉄道の父、井上勝についての展示で、そこから派生した日本の鉄道の歴史が書かれてあって、1人大興奮しておりました。。
なぜ、ここにそんなのがあるのかというと、井上勝が長州出身で、この場所が旧萩駅舎だったからということ。。
バスに乗り遅れたとはいえ、そこに見入ってしまい、むしろ次のバスに乗るのが惜しいぐらいの気持ちになってしまいました。。笑
さて、市内循環バス。。どこまで行っても100円と言う近年稀にみる低価格を実現したこのバス。。
市内2系統に分かれ、それぞれ一方通行1時間掛けてグルリと萩市内を一周するので、さぞ旅行者には大人気なんだろーと思ったら・・
地元民しか乗っていなかった!?笑
ご高齢の方々が
このバスのどこで降りれば、別の巡回バスに乗れる。。
とか
あそこの停留所はトイレが汚いから嫌だ~
とか車内で大論争を繰り広げていました。。笑
15分後目的地に到着。。
この萩市内は行きたいトコがいっぱいあったのですが、時間を考えて約10か所ぐらいにまとめました。。
ただ、それらの場所も地図では近く見えるのですが、実際どの程度の距離なのか、PCで調べただけでは測り兼ねるトコがありました。。
でも、実際に着いてみると思ったより距離が短かったです。。
まず最初は桂小五郎こと木戸孝充のお宅。。
入場料100円払ってお邪魔しま~す!!笑
なんか、観光地とは言え、あまり手をつけられてない、実際の人んちに入るというのは何だか気兼ねしますの~汗
言っちゃえば、どこかの田舎にありそーなごく普通の和風のお家。。
唯一、違いが気になったことが鴨居が低いってところ。。
部屋と部屋の境で身長167cmの自分が頭スレスレだったんで、昔の人って背が小さかったんだな~と実感いたしました。。
中には木戸孝充の写真や書、家系図や家族の写真とかありました。。
ここは残念ながら、自分の後にどんどん人が入ってきたので、あまり落ち着けませんでした。。
そこから歩いて5分ぐらいのトコに今度は高杉晋作の家があります。。
こちらは残念ながら補強工事をしていないため外観のみの観覧だったんですが、なんかとても日本をひっくり返すよーな人間が住むよーな家には見えず、とても質素なお宅でした。。
ただ、やっぱりこの2人が特に薩長同盟に深く関わったと思うと、遠からず現代に影響も及ぼしているのであるのですから、不思議な感じがします。。
すっかり、頭は龍馬伝に乗っ取られてしまいますが・・笑
富国強兵を前提にした大日本帝国憲法制定したのも、韓国征服した時の総統も全部、長州出身者でしたし。。
日本の汚点を世界に晒したのも、この長州藩というのも事実だということです。。
だから、自分は一概にこの人たちをスゲーとは思えません。。
あるモノを創ったということはあるモノをぶっ壊したというのと同義なのですから。。
ともあれ、良かれと思って日本を創ったのでしょーから、その志には心から感服致します。。
さて、そこから20分ぐらい歩きまして、牢獄跡に到着。。
野山獄と岩倉獄。。
まぁ当時は罪人ですからね。。笑
一方岩倉獄というのは身分が低い者が投獄される場所。。
なので、ここには金子重之輔の石碑が建てられております。。
身分によって、牢獄にも待遇の違いがったのですから、非常に悲しー出来事だったというワケです。。
さて、今日の観光はここまで。。
予約したホテルにチェックインして、夕飯食べに再び外へ。。
ココイチ行こーと駅の反対側行こーとしたら、道に迷って、気づいたら民家の庭にいた。。爆
何とかココイチに辿りついて、カレー食べて、コンビニで朝食買って、ホテルに戻って、最後に久しぶりの酒を呷って寝ました。。笑