敗北の結果に手に入れたモノ。。
こんばんは。。高校生のテスト期間中に連休をいただいたmartです。。
誰のせいでもないのだけど、今回のテストは高校生の推薦を受ける生徒にとって成績に関わる最後のテストだったので、すごく残念でした。。
行き先が京都や海外だったら生徒に恨まれていただろうけど、今回はね・・
果たして、みんなの点数はイカに。。
そんなワケで昨日、おとといで新潟へ行ってきました。。
36時間のプチ旅行。。
ニュースでは新潟が大雨になってるみたいな感じで、一部列車も運休とかなっていましたが、自分が行った所は運休どころか、雨も全く降っていませんでした。。爆
はい。。
それでは、最後の新潟書きたいと思います。。
おとといの朝9時前に家を出発。。
いきなりサプライズがありまして、バス停で待ってたら、隣町に住む姉夫婦が車で通りすがりました。。爆
もちろん、向こうの行き先も新潟。。爆
思わず声を上げて手を振ってしまいました。。笑
乗って行く??みたいな話になったけど、新幹線も取っちゃってあるから・・ということで、お断りしました。。
では夕方、新潟で~!!って感じで。。
バスと電車を乗り継いで、東京駅へ。。
今回はスマホで指定席を取ろうとしたら、窓側が空いていなかったので、自由席に賭けることにしました。。
30分ぐらい前にホームに着いたら、余裕で列の一番。。
待っていたら、兄貴もやってきた。。
ホントは新潟駅集合だったんですけど、まぁ本数が少ないので同じ電車になるワケで・・
でも、兄は指定席取ったそうなので、少し話して、ではまた新潟駅で~ってことで。。
新幹線は2階建て。。
一番最初に一人で新潟行った帰りの新幹線も2階建てで、おばあちゃんが新潟駅まで見送りに来てくれたな~とか思いだしたり・・
香典袋に名前変えたり、お弁当食べたり、兄弟でラインしてたりと結構、忙しかったですけど、新潟の田園風景を見たら、あ~新潟来たー!!って高まりましたね。。笑
新潟駅について、乗り換え待ち時間40分。。
兄貴と新潟駅周辺をブラブラして時間をつぶし・・
電車で家の最寄り駅へ。。
両親に迎えに来てもらったら、姉夫婦もちょうど着くと言うことで、近くのコンビニで落ちあうことに。。
3分もしないうちに到着。。
6時間半ぶり~爆
同じ時間に出発して、電車VS車だとほぼ同じということが分かりました。。笑
向こうは途中、雨のため速度制限、こちらは乗り換えの待ち時間などで結局トントンみたいな。。
新潟のお家へ着いたら、もうイトコは全員集合。。
おばあちゃんにお線香あげて、しばし談笑。。
向こうのイトコは全員子どもが1人ずついて、こっちは姉貴だけだけど、1人女のコ。。
4人中3人が同じぐらいの歳(0or1歳)だから、もうみんなかわいかったです。。笑
特にうちの姉貴の子どもは人見知りしないし、表情豊かだし、滅多に泣かないので、みんなに大人気でした。。
美和の子どもとは2度目で雨みたいに泣かれなかったけど、好かれることもなく・・
あと、美和の兄貴の子どもは初めまして。。
こちらも泣かれることもありませんでしたが、そこまで好まれることもなく・・笑
美和の姉貴の子どもは小3で、昔2度ほど遊んだのですが、もう全然忘れられていました。。
まぁ当然だよね・・
一通り戯れてから、斎場に異動。。
お通夜。。
自分はお葬式自体おじいちゃん以来(25年ぐらい前)で大人になってからは初めてだったので、行事の名前を聞いても何をやってどうゆう意味を持つのかさっぱりでしたけど、行ってみたら心配したほどではありませんでした。。
不安だった香典とお焼香も簡単に済ませられましたし。。
お葬式というと、和室で正座で何時間もお経を聞く・・というイメージだったんですけど、椅子で1時間も掛らなかったと思います。。
身体は楽だったので、行事に集中できました。。
子どもの頃は永遠のように感じられた行事だったので(爆)不思議です。。
夜はビジネスホテルに泊まり、勉強道具も持って来なかったので、チャッチャと寝ました。。
次の日は朝8時過ぎから出棺。。
斎場からバスに乗って、霊柩車の後をついて行って、家の前を通って近所の人に遺族が挨拶して、火葬場へ。。
火葬場はおじいちゃんの時と同じ場所。。
ここで昔、火葬している時間に隣の部屋の子と仲良くなり、おもちゃで遊んでいたらおもちゃの銃の弾(吸盤)が僕の眼に当たり、大騒ぎになったという記憶がありまして・・
自分は「あっ、あそこだ・・」と正確な現場も覚えていたんですけど、兄弟に言っても覚えておらず・・
そしたら、美和が「昔、ここでさぁ・・」ってその話をし始めたんです。。爆
親含め誰も覚えてなかったのですが、自分と美和だけ覚えていたことにビックリしました。。
そんな昔の話を振り変えつつ、子供を中心に時間を潰していました。。
そして、今度は遺骨を携え、斎場に戻り告別式。。
これで終わりか~とずっと考えていました。。
お葬式もおばあちゃんとも、新潟とも・・いろいろな終わりですね。。
お葬式が終わって、食事会。。
まぁ量が多い×2。。汗
食べきれず、姉貴の子供と戯れていました。。
これで全部終了。。
解散して、自分はみんなを見送って、姉夫婦の車で新潟駅まで送ってもらいました。。
新幹線もちょうどいいタイミングだったので、先に出てた父たちの車にすぐ追いつけると思ったのですが、各駅だったので、大宮でほぼ同着でした。。
新宿まで行って、あとはロマンスカー乗れば着く~!!という所で人身事故。。爆
今日のロマンスカーの運行は終日運休。。爆
満員電車でしかも、停車と徐行を繰り返して、いつもの1.5倍の時間掛けて帰ってきました。。
結局、車より遅くなったし・・涙
家着いた時にはもうクタクタでしたね・・汗
ともあれ、これで終了。。
特に想うことなく、感傷に浸ることもなければ、テンションを上がることもなく、子供たちメインだったので、逆にそれが何も感じさせなくしてくれたのだと思います。。
とりあえず、歳をとっても、子供がいてもイトコはイトコでした。。
美和の旦那さんとも真っ当に会うのは初めてだったのですが、ものすごく謙虚で、無口ではないのですけど、全然前に出るタイプではありませんでした。。
言ってみれば、とてもまとも。。笑
うちの兄貴とは真逆でした。。爆
今までの美和の話ではもっとソフトというかラフなイメージだったんですけど・・
美和のいうことは当てにならんということです。。爆
そんなんで、特に振り返ることもなくすっぱり新潟に別れが告げられました。。
子供の時はその瞬間の環境が永遠に変わらないと信じ、変わることなんて想像もしなかったのですが、いつの間にかすべてが変わってしまって、それに適応できている自分たち。。
考えてみれば、新潟で姉貴の旦那さんの車で駅まで送ってもらう日が来るなんて小さい時は想像してませんでしたからね。。笑
だからといって、自分も変わろうとか無理して前に進もうとは思いませんが、変化はそんな恐いモノではないし、変わったモノは戻そうと思うこと自体、不可能な話。。
それなら、今ある環境に身を任せる方がみんなが幸せになれる。。
それを昔の自分の描いていた理想が叶わなかった敗北の代わりに手に入れた結論ですかね。。
そう言えば、僕の新潟までの往復の交通手段の話。。
普通に考えて行きは仕事があるから親と一緒に行けないのは分かるけど、帰りは親の車に乗って帰ればいいじゃん??なんで、わざわざ1人で新幹線??って美和を含め、親戚一同疑問に思ったんです。。
そしたら、母が「好きだから」って言ったら、その一言でみんな「あ~!!」って納得しちゃったんです。。爆
小さい時は何度か新幹線で一人で新潟に来ましたからね。。
だから、その時はみんなの納得具合に自分が一番ビックリしたんですけど、あとで考えたら誰が原因でこうなったと思ってるんだ~!?と叫んでいました。。爆
うん。。理想は叶わなかったけど、その過程で手に入れたモノは数多あって、そしてそれが自分の人生の一部を形作り、今も一部として残っている。。
それがたくさん集まって人生を紡いでいくのかな~??とか思いました。。
はい。。こんな感じで特に悲しむこともない綺麗な終わりでした。。
めでたし×2。。
それでは~